【毎年恒例】 鎮海軍港祭の由来 ~1962年、王桜の原産地は日本ではなく我が国の済州島であることが明らかに

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ケント・ギルバート,ロバート・D・エルドリッヂ
5つ星のうち4.1
百田 尚樹

4 Responses

  1. 1
    真実史観 says:

    Tsunamiと桜
    ①明治三陸地震Tsunamiとポトマック河畔の桜並木
     エリザ(エライザやイライザ)・ルアマー・シドモア(シッドモアやスキッドモア)(Eliza Ruhamah Scidmore、1856年~1928年)は、アメリカの著作家・写真家・地理学者。ナショナルジオグラフィック協会初の女性理事。1885年~1928年にかけて度々日本を訪れ、1891年『シドモア日本紀行 明治の人力車ツアー』外崎克久訳講談社2002年等の著作がある。
     ワシントンD.C.のポトマック河畔桜並木の最初の提案者として知られている。
     明治三陸地震津波(1896年)の取材、”The Recent Earthquake Wave on the Coast of Japan”を、『ナショナル・ジオグラフィック・マガジン』1896年9月号に載せた。「津波=Tsunami 」という言葉が、英語文献に使用された始まりと言われている。
     日本滞在中、瞬時の天災「津波」と、はかない花「桜」に遭遇したシドモアは、ワシントンD.C.に日本の桜を植える計画を着想し、1885年ワシントンへ帰国後実現に努力したが、病虫害への懸念から徒労に終わらざるを得なかった。
     シドモアの桜並木計画は、着想から24年後の1909年、大統領となったウィリアム・タフトの妻ヘレン・タフトが興味を示したことで、実現へ大きく動きだし、日本から寄贈の3,000本余の桜が届いた1912年3月27日、記念の植樹をおこなった。ちなみに、3年前の1909年に寄贈された桜は、検疫で害虫が大量に発見され、すべてが焼却処分となり失敗に終っている。

     ②そして99年後の現在、西ポトマック公園やワシントン各地の桜を観に多くの人々が訪れている。
     全米桜祭りは特に盛大である。
     横浜で兄のジョージと住んでいた母エリザが亡くなったのが1916年、その6年後の1922年に、独身でアメリカ総領事だった兄ジョージが亡くなり、母の墓(横浜外国人墓地)に一緒に納められた。
     兄と同様、やはり生涯独身だったシドモアは1928年11月3日、ジュネーブで死去。享年72歳。その翌日、11月4日付けのニューヨークタイムズの記事は、「自分が死んでも葬儀は無用、火葬にして散骨してほしい」とシドモアが、ジュネーブのアメリカ領事に手紙を残していたと、伝え、彼女のアメリカの親しい友人たちが葬儀を行うつもりだとも、伝えている。
     日本国、阿吽のはからいで、日米の文化交流に尽力した人として引き取り、横浜外国人墓地の、在日米国領事であった兄や母の眠る墓に、埋葬した。その傍らには1991年にワシントンから里帰りした桜が植えられ、「シドモア桜」と名付けられている。
     津波と桜に日本を見たエリザ・ルアマー・シドモアは、母や兄と共に日本で眠っている。

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    神道は人間人造の宗教に非ず神社母は地震津波風水火山創造主災害

    真実史観

  2. 2
    桜咲く says:

    毎年バカ丸出しのコメントで大変やね~。
    日本が関与した桜を全て伐採して、王桜を植え替えた?何故桜に桜?
    そんなに嫌ならムクゲにしとけば良かったのに、やはり日本が恋しい!

  3. 3
    名無しさん says:

    今年もサクラ症の発症時期が近づいたねウェーハッハッハ・・・

  4. 4
    名無しさん says:

    朝鮮人が主張する王桜とソメイヨシノは違う物だと言う事がどうしても理解出来ない朝鮮人。

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