青木理「"便所の落書き"に教育を」

毎日新聞 2020年12月23日
https://mainichi.jp/articles/20201223/ddf/012/070/004000c?inb=ra

　ネット上などに横行する差別言辞を目にすると、駆け出し記者時代の記憶がよみがえります。いまから３０年も前、初任地だった関西の都市。あるとき取材先でこんな話を耳にしました。「このところ差別落書きが増えている」と。

　調べてみると、管内の公衆トイレに被差別部落や在日コリアンを誹謗（ひぼう）中傷する落書きが相次ぎ、行政が消去作業などに追われているというのです。公には口にできないような差別心をトイレの壁に書き殴る、まさに「便所の落書き」ですが、新米記者ながら憤りを覚え、つたない原稿を必死に書いたのを覚えています。

　ただ、いまから考えれば牧歌的ですらあります。薄暗い壁に吐き出された薄汚い差別心なら広がりも限定的で消去も可能。しかし、いまやネット上に露骨な差別心が堂々と書き殴られ、容易に消すこともできない時代。それどころか差別心に「同好の士」がいるとでも思ったのか、恥じる気配もなく街頭でヘイトスピーチをがなる連中まで登場し、一部の為政者やメディアがそれをあおる始末。

　かつての「便所の落書き」がまるで“市民権”を得てしまったかのような惨状ですが、この要因をネットのみに求めるのはやはり早計でしょう。あえていうなら、もともと僕たちの社会に沈殿していた悪意がさまざまな時代的、社会的条件によって解き放たれ、可視化されただけのこと。

　僕は繰り返しかみしめているのですが、イタリアの哲学者ウンベルト・エーコは、差別や排他といった「野蛮な不寛容」を「思考なき純粋な獣性」と捉え、悲しいかな人間の本性に近いものだから「継続的な教育」を通じて「徹底的に打ちのめしておくべき」なのだと訴えました（『永遠のファシズム』岩波書店）。

　ならば、これはどうすべきか。化粧品大手ディーエイチシーの会長が自社サイト上に最近書いた差別言辞です。ネット上ではすでに批判が起きていて、まさに「便所の落書き」レベルなので引用はしませんが、誰が読んでも在日コリアンへのあからさまな差別。

　エーコの教えに従えば、「教育」で正さなければならないのですが、この会長はすでに８０歳近い高齢なうえ、過去に何度も差別言辞を吐いてきたご仁。ならば、企業として手痛く「打ちのめ」されないと覚醒しないのかもしれません。

（青木理　ジャーナリスト）